2014年4月24日木曜日

4月の心象風景


今年に入って、観に行くようになった「屋根裏ポエトリー・ナイト」
大阪市北区中崎町にある「朱夏」で月に1度行われている。
先月に初めて読んで、今月で2回目。
とりあえず3回くらい連続で読めたら、1度休んで、その後は読んだり読まなかったりでいいかなと思っている。
観る(聴く)だけでも十分楽しめるし、このイベント前後のだらだらと(笑)喋っている時間が楽しかったりもする。

今回は新しく詩を書くことが出来なかったので、10年以上前に書いた作品を2点と、友部正人さんの詩を読んだ。
詩を読んでいるとき、この場所に「ようこ」さんが居なかったのが残念だった(笑)





~4月の心象風景~


「心象風景」

いちめんの青に
ぽつんと浮かんだ
白いかたまり

もやもやとしながら
とがったり
もくもくとなって
ふくれたり
丸くなるのもいいかな

時間が経てば
形も色も変わるのは
自然なことで
それが普通だと分かっているはずなのに

普通って なに?

オレンジに染まる空を見ていたら
泣きたくなったので
急いで家に帰ることにした





「アクシデンタル・ツーリスト」 友部正人

バスを待っているとき
ぼくには本はいらない
君がいるから

バスを待っているとき
ぼくにはウォークマンはいらない
君がいるから

バスを待っているとき
ぼくには新聞はいらない
君がいるから

バスを待っているとき
ぼくには何もいらない
君がいるから

バスを待っているとき
ぼくはいらいらなんてしない
君がいるから

バスを待っているとき
ぼくはいらいらなんてしない
君がいらいらしはじめるまで

他の人は本を読んだり
ウォークマンを聞いたり
新聞を読んだり
よそ見をしたり
いらいらして何度も時計を見たり

バスはなかなか来ない
たぶん行ったばかりだったんだ
君は最近読んだ本の話をしてくれる
アクシデンタル・ツーリストという題だ
君は毎日たくさんの本を読む
その話をぼくは耳で聞く
ぼくにとって君は
世界中の興味深い物語の作者のようなもの
日暮れのセントラルパーク・ウエストでバスを待っている
そのほんの二十分くらいのあいだ





「ようこ」

「いま、こんな気持ち」
と言って君は紙を差し出した。
そこには
「やまもとようこ」
と彼女の名前が書かれていた。

いまの彼女の気持ちは
「やまもとようこ」らしい。
ひらがなで。

「ようこ」といえば
陽子、洋子、容子、要子、庸子、葉子、蓉子
があるが、
ぼくの知っている「ようこ」は
陽子が5人、洋子が3人、容子が2人、葉子が1人。
要子と、庸子と、蓉子は知らない。
あ、容子のうちのひとりは蓉子だったかもしれない。

「ようこ」のほとんどはどこか冷たい空気を持っていた。
太陽の陽子は名前に反して特に冷たかった。
隣にいても、いつも距離を感じていた。
大洋の洋子は確かに深かった。
でも、それだけだった。
大要の要子はまだめぐり会っていない。
大葉の・・・、葉子は忘れた。

幼なじみの陽子は実家に帰ってきたらしい。
学生の頃仲の良かった洋子と容子からは年賀状だけは来る。
陽子は「だれにでも優しいのね」と言って去って行った。
洋子は家から出なくなった。
容子のウエディング・パーティに出た。
洋子とは大阪式詩のボクシングを見に行った。
陽子のことばが届けられた。
「付き合って良かったと思えたのは、あなただけ」
そんなこと、
ほかのやつと結婚してから言わないで欲しい。


「やまもとようこ」はどの「ようこ」だったかなあ。

2014年3月の「旅」


2014年3月、久々に詩を書き、朗読をした。
新しく書いたのは2編。
その間に10年前に書いた作品と、まどみちおさんの詩を2編挟んで読んだ。
人前に立つ緊張感と、終わった後の心地良さはずっと忘れられないのだろう。

3月に行われた「屋根裏ポエトリー・ナイト」で読んだ詩を、載せておきます。





2014年3月の「旅」


「旅の始まり」

「おはよう」と発車のベルが鳴る
目的地は確認できないまま
まだ見たことの無い風景を求めて
どこか遠くへと 行きたいと思っている

隣の人がなにやらぶつぶつとつぶやいている
冷たい風が苦手なのか、雑音が苦痛なのか
「言ってきます」といって立ち上がり、
「行ってきます」といってどこかへ行った

向かいの席に、名前は思い出せないけれど
知った顔があったので、声をかけてみた
でもそれは人違いのようで
「初めまして」と挨拶された

のんびりしてたら、
いつの間にか、知らない風景を走っていた
そろそろ降りなきゃと思ったら
うとうと眠ってしまった



「春がすみ」 まど・みちお

いちめん ほわほわの 春がすみ
ぼくは海のまん中に うかんでいて
ぷわん ぷわん あそんでいる

うまれる まえの ことなのやら
しんでからの ことなのやら
どっちなのやら わからないけれど
どっちかなのは よく わかる

どっちかなのは よく わかるけれど
なぜ よく わかるのかは
なぜだか よく わからないけれど

いちめん ほわほわの 春がすみ
ぼくは空のまん中に ねころんでいて
でたらめうたなんかを うたっている




「ノン・アルコール」

環状線を2回まわって
3時半の位置で降りたとき
既に飛行機は大気圏を突破していた

しかたなくタクシーを止め
「前の車を追って」と告げると
動物園の前で降ろされた

ライオンは寝ていて
ペンギンは日焼け止めを塗っていて
ワニは入れ歯を探していた

そういえば歯が痛かったことを思い出し
歯医者を探していると
檻に入れられたウルトラマンを見つけた

怪獣と恐竜の区別が付かないまま
案内板の矢印にそって進んでいくと
何もない部屋があった

しばらく横になっていると
飼育係のおじさんが
「酔っぱらい」という看板を立てていった




「コオロギが」 まど・みちお

コオロギが鳴いている
のを 私がききほれている
のを コオロギは知らない
と 私が思っている
のは けれどコオロギにかぎらない
空をとぶ小鳥にでも
道ばたに咲く草花にでも
どんな物にでもなのだ
一方的であるほかないのだ
いつだって人間は
と 私が考えている
のを しげしげと見おろしている
あの星空のはるかな所から
私の知ることのできない何かが
かぎりなく一方的に
と だけは私にも思わせて
コオロギが鳴いている



「旅の終わり」

いつもの風と、いつものノイズ
瞼を開けると、
目の前に広がる景色は
見慣れたものだった

「自分で表札を出すにかぎる」と言ったのは、石垣りん
「東京に空が無い」と聞いたのは、高村光太郎
「見えぬものでもあるんだよ」と感じたのは、金子みすゞ
「ゆあーんゆよーんゆやゆよん」と、中原中也

それでもみんなが
一本のレールの上を走っていることに変わりはない
同じ風景を見ている
ただ、感じ方が違うだけ

間もなく到着するであるはずの終点も
そこで終わりではない
それぞれの意味がある
「おやすみ」と汽笛が鳴った

2014年4月8日火曜日

再開かな。

過去の詩やメモの保管場所だったんだけど、せっかくだからいろいろと書いていってみようかと思ってる次第。
どうなるかは、分からんけど。

スポーツ関係のことは、別のとこで書いているので、

   こっち → 「巷のスポーツ好き

それ以外のことを。